いつの世にも悪は絶えない・・・この言葉にうなずくアホな自分がいます。
ご存じの人も多いでしょうが、中村吉右衛門ドラマ版『鬼平犯科帳』はこの台詞から。そして、ばったばったと切っていく鬼平の身のこなしが実に決まっていて、いやなことがあった日などに見ると最高。単純な私としては、ささやかなストレス解消です。
このドラマはたくさんのシリーズが作られ、人気も高かったのですが、それは原作の世界に忠実に、さらには役者陣の見事さに他なりません。そして、エンディングの映像の美しさと、一見ミスマッチとも思えるジプシーキングスの音楽とのコラボレーション。
このエンディングの美しさは、原作である池波正太郎の『鬼平犯科帳』を最も象徴的に見せているのではないかと思っています。それは、池波正太郎の「江戸の世界を映し出す」描写力によるもの。この本を読むといつも、江戸の町が生き生きとして美しく、賑やかで、夜の闇が濃いことをイメージしてしまうのです。
たとえば、こんな感じです。大川(隅田川)の船からの情景。
どんよりとした花曇りの空に、一羽の鳶がゆうゆうとして舞い飛んでいる。
花見どきで、川向こうは人手も多かった。
「もう、花も散ります」船頭が何気なくいった。
最小限の言葉、しかも何気ない言葉を重ねて、何十倍にも表現しているとは思いませんか?
川から見る桜の散り間際の満開さ、川向こうの賑わい、それに対して大川のゆったりとした流れと舟の上の静けさ。
こういったことを、直接的には全く表現していません。しかし、こんなに短い文字数でも、読者の頭には即時に情景が浮かんできます。
それは、人物を描き出す時も同じ。
色っぽい女性、陽気な人、心に闇を抱えている人など、はっきり書いていないのに、場面に登場しただけで、想像できます。
そして、善悪関わらず、ムダな登場人物が存在せず、すべてが魅力的。
『鬼平犯科帳』は、江戸を舞台にした捕り物の話です。
盗賊がいて、捕り手がいて、江戸の人々の悲喜こもごもが語られます。
その文章は無駄がなく、テンポ良く、イメージをかき立てる。圧倒的なストーリーテラーなのです。
鯔背(いなせ)だなぁと思います。
小説も、その登場人物も、そしてその書き手も。
粋でさっぱりしていて、格好良い。
だから、池波正太郎はすごいし、私は敬愛してやみません。
文章を書くとき、絶えず意識していますが、当たり前のことですが、道のりは遠い。。。
それで、また『鬼平犯科帳』を手に取る訳です。
楽しみと、学びのために。
(2010年3月初出、2024年9月加筆修正)
→文春文庫『鬼平犯科帳』全24巻
短篇・長編を織り交ぜ、1冊だけでも楽しめる
→電子版『鬼平犯科帳』合本(1~24)
読み出したら止まらないので、一気買いでもイイと思う
→DVD-BOX『鬼平犯科帳』第1シリーズ
これも持っています。